作品評については既に記事を書いているので、今回は印象的なキャラクターについて書いていこうと思う。

まず、ライジングにおいて私の愛するキャラクターを3人。

1.フレデリックス (役者:ジョン・ノーラン)

John_Nolan彼はウェイン産業の重役という設定で、ビギンズ、ライジング両作品に出演している。主役級を除けば最も好きなキャラだ。スケアクロウが非常においしい役であるということはよく言われているが、このフレデリックスも負けていないだろう。
ビギンズではブルースの両親亡き後も、先代トーマス・ウェインの遺志を守り抜かんとし、常にブルースとウェイン産業を想っていたし、ライジングでルーシャスが重役の一人を選べとベインに脅迫された際にも、自ら迷うことなく志願し、死をも恐れぬ勇気を見せた。(死なないけど)
ビギンズでアルフレッドが「ウェイン家の家名こそが唯一トーマスが遺した形見である。それを守らねば。」とブルースを説き伏せるシーンがある。
そしてトーマスが遺したこの家名がいかに素晴らしいか、それがフレデリックスという存在を通して伝わってくる。トーマスという人間の人柄に惚れ、命すら惜しまずウェイン家を守らんとする守護者がブルースの周りにはいるのだ。これこそトーマスが遺した何にも代えがたい心強い形見だろう。

ところでこの役者は、クリストファー・ノーランの初監督作であるフォロウィングにも刑事役で出演している。知られた役者とはとても言えないが、ノーランフィルムでは3作とも随分おいしい役どころだ。それもそのはず、彼はクリストファー・ノーランの叔父であるらしい。

クリストファー・ノーランは役者の表現に間を置かない、いわゆるタメを作らないといわれる事がある。感情表現が淡白になるこうした撮り方を多用する監督であるため、人間に対する興味が希薄なのでは?といわれることもあるようだ。
確かに納得な気もする意見だが、叔父に良い役をあげたり、ノーラン組などと呼ばれるこだわりの俳優メンバーまでいるのだから、人間に対する興味が希薄というよりは、作品に対するアプローチに拘りがあるのだろう。


2.フォーリー副本部長 (役者:マシュー・モディーン)

fb55b71e7c219fa10bd4bc2be2b5da70フルメタル・ジャケットなどで知られる俳優。ちなみにそのフルメタル・ジャケットではジョーカーと呼ばれる役を演じた。
先日、隠れジョーカーがライジングの場面に散りばめられているという記事がCosmic book newsに掲載されたが、もしかしたら彼も隠れジョーカー的な配役かもしれない。
だが、そんなことは関係なく、彼の演技は良かった。愛すべきヘタレキャラである。最初の彼は役立たずなうえに目立ちたがり、そのくせベイン達が現れると恐怖ゆえに自宅に引きこもる。だが一時は身を隠すが、バットシグナル(正確には違うが)の復活を家族と共に発見した彼は、制服に身を包んで警察隊と共に戦う決意をする。これは恐怖による支配を恐れる市民にとってバットマンが希望を与える光となっていることが分かる重要なシーンだ。フォーリーはバットマンという希望を見つけたことで、再び使命を果たす決意をする。そう、バットマンはまるでオリンポスの聖火の如く、自らの火を他者に移してゆき、その火は数多くのヒーロー達に託され燃え上っていく。
彼はゴッサムを、そして家族を守るためにまさしく字の如く必死で戦ったに違いない。
彼の名もまた、偉大なるヒーローとしてゴッサム、そして最愛の家族の心に刻まれたに違いない。
ヒーローに乾杯!


3.ベイン (トム・ハーディ)

The-Dark-Knight-Rises-and-Bane-get-high-marks最後のキャラクターはベイン。作品評の記事でキャットウーマン演じるアン・ハサウェイを持ち上げておいて紹介しないのはどうかと思うが、主役級の仲間キャラは別記事でいずれ述べることとしたい。
もっとも、ヴィランについても別記事を書く必要があると思うが、やはりこのキャラ無しには本作は語れない。
まず彼のキャラクターが小物すぎるとか、ジョーカーには及ばないという意見をよく見かける。だが私は鑑賞者とバットマンを深く絶望させる素晴らしい役だったと思う。本来の姿を想像出来ないほどに肉体を極限まで鍛え上げて作品に臨むデ・ニーロ・アプローチ的役作りは勿論、目で語る彼の演技には凄まじい凄みを感じた。
そして最も評価したいのは、ベインの声の作りこみである。
洋画作品に於いて議論する際に吹き替え派、字幕派という論争が時々起きることがある。役者の声や台詞の抑揚といった演技がダイレクトに伝わるため、役者の評価を判断するうえで原語鑑賞のできる字幕は有益だ。逆にライトに鑑賞したい者は概ね話の筋を追いやすい、疲れない、という理由で吹き替えを好む。さらに吹き替えには字数制限の厳しい字幕よりも台詞が原語に忠実であるというメリットもある。
どちらにもメリットがあるが、一部の字幕派には吹き替えは本当の作品鑑賞では無いという輩がいる。
私自身は初見は字幕派だが、セガール映画や、パニックもの、野沢那智が主役に声をあてている映画なんかは吹き替えの方が面白いとすら思う。
だが、このダークナイト・トリロジーに於いては絶対的に字幕をお勧めしたい。バットマンは元々原作に、スーツを身に纏った時だけ声色を変えてだみ声になるという設定があり、それは本トリロジーにも活かされている。
さらにダークナイトに於けるジョーカーも耳に残る不思議なアクセントで喋りまくるので、原語だと実に活き活きしている。
そしてやはりベインに於いても同様で、トム・ハーディは自らベインの生い立ちに合わせて様々なアクセントを研究したそうだ。そしてその成果はというと、これが実に素晴らしい。
地下での最初の決闘場面、あの時の" I am the league of shadows" は正に最高だった。その声はハイセンスでリズミカルな音楽のように耳に残り、時が経つほどに余韻が増す。

ラーズの癖ともいえるポージングも見事に真似しているし、証券取引所のアクションはキレがあるがどこか野獣的で、彼の役柄を象徴している。
「ジョーカーは心理戦でバットマンを追い詰めたのに、腕力だけの敵など」という意見も多々あるが、単純な力でバットマンを上回ることこそ重要なのだ。
ヒーローはヒーローのプロットを持ってこそ伝説になりうる。王道の力と力の衝突、敗北からの復活、そして勝利と生還、行きて帰りし王道の物語だからこそ素晴らしいのである。だからこそ物語はヒーロー映画に回帰する。これを普通の映画に逆戻りしたと捉えるか、苦悩を脱し、自己矛盾を振り払い、とうとう真のヒーローとなる重要な物語と捉えるか、これが本作の評価の分かれ目ではないか。これを以てみれば設定の細かな破綻は、ワトスンの古傷の場所が変わる程度の些細な話だ。
この神話を完成させるうえでベインの存在は必須だ。彼はジョーカーに並ぶ究極のヴィランである。だからこそ、タリアよりも彼一本で突き抜けて欲しかったという欲もあるが。

ぐだぐだと書き連ねたが、彼ら3人の立役者への尊敬の意と感謝を述べたい。