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1997年に公開されたアメリカ映画である。
アカデミー7部門でノミネート、そして助演男優賞と脚本賞の2賞を受賞している。

監督は最近『ミルク』で話題をさらったガス・ヴァン・サントであるが、この映画に於いて特筆すべきは監督よりもやはり脚本・主演のマット・デイモンであろう。当時無名の俳優であった彼がハーバード大在学中、シナリオ制作の授業のために書き上げた戯曲を親友であるというベン・アフレックに見せたことがこの映画の誕生のきっかけである。彼らは戯曲を映画向けの脚本として新たに共同執筆し、それから紆余曲折を経て見事映画化の運びとなった。
元々マット・デイモンとベン・アフレックは幼いころよりの友人で、その親交は現在も続き、彼らは共同で会社を興している。この映画にも親友同士という役で出演し、共に快演を見せている。

彼らは共に才能ある俳優であるが、特にこのところのベン・アフレックは監督・主演の『ザ・タウン』、『アルゴ』の2作が批評的、興行的に成功するなど立て続けにヒットを飛ばしており、正に飛ぶ鳥落とす勢いといったところだろう。特に『アルゴ』はアカデミー作品賞の受賞が強く期待される作品であり、これで受賞とまでなればいよいよ彼の監督としての評価も揺るがぬところとなるだろう。


して本作は、MITの数学教授であるジェラルド・ランボーが学生たちに投げかけた数学の難問から幕を開けることとなる。世界屈指の名門校の学生達すら解けないその問題を簡単に解いたものが現れ、教授はその人物を探し始める。問題を解いた人物をとうとう見つけ出した教授はその人物の素性に驚く。その男ウィル・ハンティング(マット・デイモン)は学生ですら無い不良青年で、MITに勤務するただのアルバイト清掃員であった。
ランボーはウィルの正に天性の才能を開花させようとするが、ウィルはケンカをしては鑑別所入りを繰り返す素行の悪さで手に負えない。そこでランボーはウィルを更生させるために様々なセラピストにウィルを診てもらうわけだが、皆ウィルにいいようにあしらわれサジを投げだす。

最後の手段としてランボーは、学生時代の友人である心理学教師ショーン・マグワイアをウィルに紹介する。
はじめは反発するウィルもいつしかショーンに信頼を置き、それは絆となって二人を強く結びつける。

ショーンとの触れ合いによって変わってゆくウィルの心情を中心に据え、それに伴うように変化する彼の周囲の環境、そして人々を、優しく、丁寧な描写をもって描いている。

詳しく述べては感動も醒めてしまうかもしれないので詳述は避けるが、これほどに人物描写が丁寧で、それぞれのキャラ、ストーリーが立っている映画はそうあるものではない。しかもこれらは全て上手く絡まり合い、なお且つ綺麗にまとまっているのだから観終わったときの感動はそれはもう気持ちのいいものだ。
違和感なくすんなりとそれぞれの人物達に感情移入できるおかげで、より深くストーリーに入り込むことができる。
この映画全体を覆う温かさや優しさは、決してクドくならずに心地よく、鑑賞時間を全く気にさせない。それどころかスタッフロールが流れ出しても、もう少しこの世界に浸りたいという気持ちにさせてくれる。

最も鮮やかだと思ったエンディングの二つのエピソードには思わず舌を巻くだろう。さりげなく配された二つの伏線が、これ以上無い綺麗な纏まりを見せ、観るものを深い余韻に浸らせる。
この二つの伏線は共に一つの結末を導き出すようになっている。深くは語れないので女性とのその後を思わせるものとだけ言っておこう。しかもこの伏線は、その女性とのやり取りに忍ばされたさらなる伏線へと繋がるのだから、見事というほかない。
『ダークナイトライジング』で味わった心に残る深い衝撃と心地よい高揚感を思い起こす見事なエンディングだった。

ショーンを見事に演じ切ったロビン・ウィリアムスと、ヒロインのミニー・ドライヴァーの演技に手放しの拍手を送りたい。
そしてなんといってもこの作品はマット・デイモンとベン・アフレックの手腕と快演により生み出された比類なき映画である。彼らの心ふるわせる最高の演技に感謝を送る。